今回の記事はお気持ち表明ではなく、自分の考えをアップデートしなければいけないのかなーという自問自答の意味合いで書いております。なので少々取っ散らかっていますが、それ込みでお読みください。
冬クールに放送された『悪役令嬢転生おじさん』面白かったですね。乙女ゲームの悪役令嬢・グレイスに転生したおじさんの優しさが沁みる、あらゆる世代に愛されるようなほのぼのコメディで自分も楽しく見ておりました。
その中でも大きく話題となったのがEDテーマの「マツケンサンバⅡ」カバー。この記事の執筆時点でED映像はYouTubeで284万再生を記録し、フルサイズはYouTube Musicでは約96万回、Spotifyでも約36万回再生と大ヒット。もちろん国民的ソングである原曲の「マツケンサンバⅡ」自体の力もありますが、この曲を起用するという意外性だけでは語れない何かが多くの人に刺さったのでしょう。
でも正直なところ、「マツケンサンバⅡ」って作品の内容に合っているかと言われると合っていなくないですか?
作中に松平健が出てくるわけではないし、作品の舞台も乙女ゲームの世界のなろう風中世ヨーロッパ。おじさんもオタクとして描かれていて時代劇が好きという設定もない。あえて言うなら煌びやかな金ピカ感ですが、それも少々こじつけがすぎる。
などと思いながらプロデューサーインタビューを読んでみたところ理由が書いてありました。
「『マツケンサンバII』は老若男女に愛され、聴いていると多幸感にあふれ、元気をもらえます。善人しかいない世界の『悪役令嬢転生おじさん』の締めとして、この曲が流れれば、もっと楽しくハッピーになれる。見た方が、笑えて、楽しく、心が温かくなるそんなアニメ作品にしたいと思っていました。
……言わんとしてることはわかるのですが、作品の雰囲気には合っていても内容(ストーリー)には沿っていないよなぁ。でもヒットしたので商業的には成功なのでしょう。
この作品に関わらず、アニメのOP/EDにカバー曲が起用されるのは昔からちょくちょく見られます。代表的なところで言えば『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』の「secret base 〜君がくれたもの〜」、『一週間フレンズ。』の「奏」、『パリピ孔明』の「気分上々↑↑」などがありますが、どの曲も作品の内容、オタク的用語で言うところの”文脈”には合致していました。今期だと『宇宙人ムームー』の「さよなら人類」も文脈に合致しているよねと思ったり。
でも、近年の配信文化や歌い手カルチャーなどでカバーという行為自体がカジュアルになったこともあって、そのあたりの”文脈”が軽視されている作品もいくつか見受けられるような気がしています。
ちなみに今回個人的にうーんとなっているのは「アニメ主題歌のカバー曲起用」のみです。リズムゲームのカバー(『ガルパ』や『D4DJ』など)は人を呼び込むために多くの人が知っている曲が必要だし、ライブでのカバーはライブの盛り上げのために必要だと理解しているので(『アニサマ』や『ANIMAX MUSIX』のコラボカバーは文脈があってほしいけどそこは個人的好み)別にいいのですが、「アニメ主題歌のカバー曲起用」ってカバーソングという時点でそのアニメのために書き下ろした曲ではないわけじゃないですか。作品の顔ともなる主題歌にカバー曲を起用するならそれなりの理由があってほしいのですよね。
アニメ主題歌のカバー曲起用は増えているのか?
体感としてここ数年でのアニメ主題歌へのカバー曲起用が増えている印象があったので集計した結果が下記グラフになります。折れ線グラフは作品数、棒グラフは曲数で、棒グラフの中の緑の斜線部分がキャラクターがカバーした曲になります。
※挿入歌や作中未使用の曲は集計対象外。同一シリーズの曲を別のアーティストがカバーする場合も対象外です。(例:Adoの歌う「ゲゲゲの鬼太郎」や、キン肉マン(CV:宮野真守)の歌う「キン肉マンGo Fight!」など)

こうして見ると2024年が5作品25曲と異様に多いだけで、特に増えているというわけでもないんですね。一方で、昔はアーティストによるJ-POPカバーもあったのだけど(『あかねさす少女』の「壊れかけのRadio」など)、直近3年ではキャラソンカバーが主になっています。
近年多いのがEDテーマをヒロインが複数曲カバーするという方式。『からかい上手の高木さん』で行われたので個人的に”高木さん方式”と呼んでいるのですが、ここ数年でも『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』『沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる』といったラブコメ作品で同様の方式が取られています。(『負けヒロインが多すぎる!』はヒロインごとのカバーなので高木さん方式ではない)
ただ、特に『ロシデレ』が顕著だけど毎話変わるとなると選曲に文脈が乗りづらいんですよね……。例えば『ロシデレ』で「ハレ晴レユカイ」をカバーしましたが、楽曲のどの部分に『ロシデレ』との共通点を見出したのか全然わからなくて話題性重視だった感が否めなかった(もちろん話数に合わせた選曲もあったけど)。
EDが数話で変わる系のシステムが主題歌が持つ”作品の顔としての役割”を背負っていないという考え方なら、文脈合致を重視せず話題性に振り切るというのも理に適っているのかもしれません。
結局受け入れるしかないのか?
まぁ、作品の内容に合っていない曲は書き下ろしの場合でもありますし、主題歌を「作品の内容を表すもの」ではなく「話題性やプロモーションの1つ」として活用するという方向性で考えているならそれはそれで1つの考え方だし、時代の流れでもあります。
もちろん、カバーに関しては『無職転生II』の「ツバサ」や、『推しが武道館いってくれたら死ぬ』の「桃色♡片思い」、『ぼっち・ざ・ろっく!』の「転がる岩、君に朝が降る」など、今でも作品の文脈に合った選曲の方が多数派。他にも『VTuberなんだが配信切り忘れたら伝説になってた』のようなイメソン文化を輸入してきたような選曲など様々なアプローチもあったりするので、色々な方向性のカバーソングを受け入れるしかないのだろうなぁ。悪かったところよりも良かったところを探す方がオタク的にも色々な発見が出来そうである。